途中

太陽が指針となって始まりを知らせている東京はその日の始まり、人が起き出し、時計の針を数え出す姿を空に描いていた。

 

一日の始まりは、その日における幸せを掴み始めるには持ってこい。人はコーヒーカップを探し、文字通りそこにいれるべき飲み物を注ぎ、この日やることを頭の中で探す。幸福の始まりである。

 

俺は東京の朝が希望の、そして始まりの朝と思えない。昇る太陽は地獄の門が開いた、そのときに門の隙間からのぞく光のように思える。

 

東京の早朝は相対的に人が少なく、空が青く、全体的に忙しない普段とは違った色を見せる。とても綺麗だが、朝イチの感傷に浸ってる精神を学校・仕事というノルマに干渉を受け、その直後に容赦なく襲いかかる通勤ラッシュのごとく、満員電車で己を押してくる人のネガティブな思考が余儀なく侵入してくる。

脳内は「ああ、綺麗だ。いや、そんなことに浸ってる暇はない。いや、しかしこれから通勤ラッシュ、そして仕事、と地獄が押し寄せてくる」と逆説を唱えなければならない。

 

俺の脳内は、このビルなどの建物で混雑している、この多くの人で混雑している、この電車の中に密に混雑している、学校と並び仕事とノルマに追われて理想と現実で混雑している、そういう東京を透明に映し出しているのだ。実に地獄のようであるし、口を開けば「ああ、忙しい。忙しくて、忙しいのが嫌だ」と闇な言葉を発するのも、実に地獄の門のようである。

 

地球温暖化によってまだ気温にやや夏がのこる10月、東京某所。冬であるものの人の暖が集まり、そこに夏の温もりがとどまっているような、しかし現実は陰に隠れた寒さがある、そういう広場。先ほどコンビニで購入したカップ日本酒を飲みながら、人間観察をしている。人間観察と言うと、エロスな目でバードウオッチングの容量で人間を見つめている変態と思われるかもしれない。否、そういう種の変態な目的でしているのではない。対象の心理を考え、そこからどういう人物なのか、そしてなぜその行動をしているのか、そこまで思考をめぐらすのが趣味である。いや、「否」と声を大にして言ったわけだが、しかし発声したのは心の中であり、尤もらしい理由であるものの中々人間の心理を一々考える人など少ないのだから、マイノリティとして、個性的として「変態」と意味しても文句は言えないだろう。もっと言い訳をするならば、この東京の都会で鳥などマイノリティなのだから、その対象を人間に換えただけのバードウオッチングと言えばいいのだろうか。

 

そんなことを思っていると、少女が話しかけてきた。その少女は若者のファッションと一言で形容できる服を着ており、世間から言わせれば個性的なファッション、異世界転生をしてもステータスや少ない持ち金をファッションに振りそうな、そんな外見をしていた。

少女「おじさん、中々見ない顔だね、おじさん。便利すぎて豊富な品揃えなこの東京でも、この広場は珍しいからね。見物客もくるだろうけどさ。もっとも、この珍妙な空間を見物するために駅に運賃を払っているのだから、それでもう客、見物客だろうけどさ。」

後々になってこの人間から名前を聞いてわかったことなのだが、この人間の名前というのは「服部寺 未来」、そして私はこの子の親ではないが、名付け親となれるのなら「ちゃん」と付けて名を呼ぶ、そう思うものだった。

俺はおじさんという蔑称を、「いやいや、俺はおじさんではないよ、少女。君の名を知らぬが、私はおじさんと名前を言うわけではないし、そう言っても名乗ってもいないし、ましてや若者が渋く思うだろうスーツ姿以外にその要素はありゃしないよ」という言の葉で否定した。

少女「そうかい、そうなんだね、おじさん。お兄さんと呼べば否定の余地はないかい?鬼じいさん。」

続けて少女「この広場で女の子たちを見つめて立っているなんて、大体は路上飲酒、援助交際の購入にわけられるというのが私の経験則なんだい。援助交際する女の子に金を払う男性はおじさんと呼ぶんだい。」

俺「それは初めて知った。知ろうと思わなかったのだから必然だな。しかしなぁ少女、俺は援交女子を買う客でないし、行き帰りタクシーを使うからその見物客でもないのだよ」